オリンピック柔道 石井 - æ"é"ã®ç³äºæ § é¦ç¹"ã®äº"輪ä¸æ¢æè¦ã«åè« ç¶ºéºäºã'è¨ã㪠ãªã"ã«ã¹éå ± ãªã"ï½ã¾ã¨ã - About press copyright contact us creators advertise developers terms privacy policy & safety how youtube works test new features press copyright contact us creators.. About press copyright contact us creators advertise developers terms privacy policy & safety how youtube works test new features press copyright contact us creators. Apr 09, 2015 · 石井慧選手といえば、もともとは柔道の選手で、2008年の北京オリンピックの金メダリストという輝かしい成績を修めている方です。 しかし、オリンピック後の2008年10月に、突如格闘家へ転向。 See full list on news.yahoo.co.jp Aug 30, 2008 · 日本柔道を救った男~石井慧 金メダルへの執念~. ――日本ではほとんど知られていないポーランドの格闘技団体のkswにも出場しましたけど、すごいらしいですね? 「めちゃめちゃ盛り上がってます。昔のprideみたいなバブルです。(2017年5月に開催されたksw.39は)5万7000人も入りました。東京ドームが満杯みたいな感じです。じつは、ぼくは日本でのマーケットを意識していないというか、もう日本を捨ててるというか、別にいいやという感じなんです。それよりもkswに出ることによって、ヨーロッパのファンに知ってもらえるし、いま住んでいるクロアチアの人に見せられるところで戦うほうがいいかなと。あんまり気にしないですね、日本は」 ――「日本のマーケットは意識していない」と、その心境にいたった理由は? 「日本を捨ててはないですけど、やっぱり日本人ですから、気にしてたんですけど、そうすることによって、自分自身の素の部分を出せないのがあって。日本はいろいろ気にしないとダメなところがあるじゃないですか。自分が感じてることを言っちゃいけない国じゃないですか。だから、一回吹っ切れることによって、よくなって来ましたね」 ――6月6日に初参戦したアメリカの団体のpflではクロアチアの選手として出場して、クロアチアの国旗を持って入場しました。日本ではなく、クロアチアを選んだ理由は? 「いままで日本の熱心なファンに応援されることもなく、ずっとやってきたんで。それよりもぼくはクロアチアに住んで2年半ぐらいたつんですけど、すごいサポートもしてもらえて、みんなが応援してくれてます。だからクロアチア代表で戦って、日本人がヘビー級でチャンピオンになったぞと言わせないというか(笑)」 ――クロアチア国籍をとることも考えてます? 「あ。国籍とりましたよ」 ――本当にクロアチア人なんですね? 「はい。そうです。このあいだ、国籍とりましたよ。いまはクロアチア人です」
――日本ではほとんど知られていないポーランドの格闘技団体のkswにも出場しましたけど、すごいらしいですね? 「めちゃめちゃ盛り上がってます。昔のprideみたいなバブルです。(2017年5月に開催されたksw.39は)5万7000人も入りました。東京ドームが満杯みたいな感じです。じつは、ぼくは日本でのマーケットを意識していないというか、もう日本を捨ててるというか、別にいいやという感じなんです。それよりもkswに出ることによって、ヨーロッパのファンに知ってもらえるし、いま住んでいるクロアチアの人に見せられるところで戦うほうがいいかなと。あんまり気にしないですね、日本は」 ――「日本のマーケットは意識していない」と、その心境にいたった理由は? 「日本を捨ててはないですけど、やっぱり日本人ですから、気にしてたんですけど、そうすることによって、自分自身の素の部分を出せないのがあって。日本はいろいろ気にしないとダメなところがあるじゃないですか。自分が感じてることを言っちゃいけない国じゃないですか。だから、一回吹っ切れることによって、よくなって来ましたね」 ――6月6日に初参戦したアメリカの団体のpflではクロアチアの選手として出場して、クロアチアの国旗を持って入場しました。日本ではなく、クロアチアを選んだ理由は? 「いままで日本の熱心なファンに応援されることもなく、ずっとやってきたんで。それよりもぼくはクロアチアに住んで2年半ぐらいたつんですけど、すごいサポートもしてもらえて、みんなが応援してくれてます。だからクロアチア代表で戦って、日本人がヘビー級でチャンピオンになったぞと言わせないというか(笑)」 ――クロアチア国籍をとることも考えてます? 「あ。国籍とりましたよ」 ――本当にクロアチア人なんですね? 「はい。そうです。このあいだ、国籍とりましたよ。いまはクロアチア人です」 Aug 30, 2008 · 日本柔道を救った男~石井慧 金メダルへの執念~. About press copyright contact us creators advertise developers terms privacy policy & safety how youtube works test new features press copyright contact us creators. See full list on news.yahoo.co.jp See full list on news.yahoo.co.jp
About press copyright contact us creators advertise developers terms privacy policy & safety how youtube works test new features press copyright contact us creators. ――日本ではほとんど知られていないポーランドの格闘技団体のkswにも出場しましたけど、すごいらしいですね? 「めちゃめちゃ盛り上がってます。昔のprideみたいなバブルです。(2017年5月に開催されたksw.39は)5万7000人も入りました。東京ドームが満杯みたいな感じです。じつは、ぼくは日本でのマーケットを意識していないというか、もう日本を捨ててるというか、別にいいやという感じなんです。それよりもkswに出ることによって、ヨーロッパのファンに知ってもらえるし、いま住んでいるクロアチアの人に見せられるところで戦うほうがいいかなと。あんまり気にしないですね、日本は」 ――「日本のマーケットは意識していない」と、その心境にいたった理由は? 「日本を捨ててはないですけど、やっぱり日本人ですから、気にしてたんですけど、そうすることによって、自分自身の素の部分を出せないのがあって。日本はいろいろ気にしないとダメなところがあるじゃないですか。自分が感じてることを言っちゃいけない国じゃないですか。だから、一回吹っ切れることによって、よくなって来ましたね」 ――6月6日に初参戦したアメリカの団体のpflではクロアチアの選手として出場して、クロアチアの国旗を持って入場しました。日本ではなく、クロアチアを選んだ理由は? 「いままで日本の熱心なファンに応援されることもなく、ずっとやってきたんで。それよりもぼくはクロアチアに住んで2年半ぐらいたつんですけど、すごいサポートもしてもらえて、みんなが応援してくれてます。だからクロアチア代表で戦って、日本人がヘビー級でチャンピオンになったぞと言わせないというか(笑)」 ――クロアチア国籍をとることも考えてます? 「あ。国籍とりましたよ」 ――本当にクロアチア人なんですね? 「はい。そうです。このあいだ、国籍とりましたよ。いまはクロアチア人です」 Jul 27, 2019 · 柔道界から事実上永久追放された石井だが、豪華な自宅や恋人の存在など、今の暮らしぶりも明らかになる。 北京五輪、当時21歳だった石井は、初めてのオリンピック出場にも関わらず圧倒的な強さで金メダルを獲得。 See full list on news.yahoo.co.jp See full list on news.yahoo.co.jp ――石井選手の知名度からすると、日本中が注目する試合を日本でやってみたくないですか? 「あんまりないですね。総合に関しては世界を視野に入れてやりたいですね。日本でやりたいのは、バラエティー番組に出演しながら、テレビのギャラをもらいたい(笑)」 ――石井選手はビッグマウスの印象もあって、世間に誤解されていると思います。本当の石井慧はどんな人物ですか? 「見ての通り、こんな感じですけど。ぼくは常に素でやっているんで、メディアは、それを面白おかしく書いたりするんですね。それはもうしょうがないし、若いうちにわかっていればね、逆にメディアを利用することができたんですけど、ぼくはそれができなかったんで。誤解されてもしょうがないかなと思いますね」 ――本当の石井慧はこういう人間だというのを正しく知って欲しい? 「それは人間ですから、誤解されてるのは正したいというのはありますけど、もうしょうがないと。それもあって、だから国を変えて、クロアチア国籍でチャンピオンになりたいんです。それがモチベーションです」 ――最後に、これまでの10年に点数をつけるなら? 「100点」 ――それはなぜでしょう? 「ぼくは常に全力なんです。自分に100点をつけられないのは、過去の自分に失礼じゃないかと思います。満足いかないことも、妥協してしまったことも、自分自身に負けたこともあります。自分が全力で挑んだ結果、そうなってしまったんだと。人生は一度きりなんで、常に満足して生きてますね。だから100点をつけます」 ――いまはいい状態であると? 「順風満帆です!」 ■プロフィール 1986年12月19日生まれ(32歳)、大阪府茨木市出身。2008年北京オリンピック柔道男子100キロ超級の金メダリスト。優勝後のインタビューで「オリンピックのプレッシャーなんて斉藤先生のプレッシャーに比べたら、屁の突っ張りにもなりません」と発言し、一躍時の人に。2009年12月31日に総合格闘家としてのデビュー戦を行い、吉田秀彦に判定負け。その後、元pride王者エメリヤーエンコ・ヒョードルやミルコ・クロコップら強豪選手との対戦も多く経験。世界中の格闘技団体にも積極的に上がり、2017年からは練習拠点をクロアチアに移す。現在7連勝中。交際中の柔術世界女王クリスティン・ミケルソンさんとは、8月からクロアチアで同居予定。 【この記. More images for オリンピック柔道 石井 » ――10年目を迎えた総合格闘技人生の手応えは? 「『一芸十年』という言葉もあるように、何ごとも10年やって身についてくるのかなと身をもって感じてますね」 ――総合格闘家になる前に思い描いたことは実現できました? 「まったく違う方向に行ってますが、満足してます。いまのほうが面白いかなと」 ――最も成長した部分は? 「強い相手とたくさん戦って、いろんな経験を積めました。あとは海外での生活であったり、そういうのを含めて人間的に深みが出たかなと」 ――最近は海外での試合が多いですね。 「海外のほうが気楽ですよ。日本でやれば日本の選手が有利ですから。そこをあえてアウェーで戦うのは、本当の強さを追い求める意味では大切なのかなと。日本にいると、変な雑音が入ってきたりします。海外は日本ほどそういう雑音もないですし。海外のほうがぼくを評価してくれますし、合ってると思います」
Jan 20, 2015 · 母校の国士舘大学柔道部監督として育てた石井慧選手は、08年の北京五輪で金メダルを獲得後、総合格闘技の世界で活躍しています。 ソウル五輪柔道男子95キロ超級決勝を戦う斉藤仁さん(左)=1988年10月1日 出典: 朝日新聞
See full list on news.yahoo.co.jp ――2017年からはクロアチアにいるミルコのところに練習拠点を移しました。そのきっかけは? 「ミルコに2回負けてから再起ができないというか、すごく煮え切らない感じで、3連敗しました。そのときちょうど、ミルコがrizinグランプリ(2016年無差別級トーナメント)で優勝したんですよ。それで習いたいと連絡をしたら、いつでもいいよということで。そこからですね、行くようになったのは」 ――ミルコのところの環境は何が合いました? 「一番いいのはネガティブなことを言わない。みんなポジティブですよね。『おまえはダイヤモンドの原石だ。ここでしっかり磨けばまた輝くから』と毎日のように言われました。そうするとやっぱり、精神的にもよくなってきますよね」 ――石井選手は試合で戦って負けた相手のところに行って、教えてもらうことが何度かありますよね? 「自分よりも優れた技術がある人に教えてもらうのは、なにも恥ずかしいことというか、なにも意地を張るところでもないし、素直に受け入れて、足りないものを探していったら、それがミルコだったわけです」 ――日本人にとってクロアチアは、想像もつかない国だと思います。そういう環境の変化も気にならないですか? 「あんまり気にならなかったですね。クロアチア自体がいい国というか、すごく環境がよかったので、すぐ好きになりました。絶対に行きたくないと思う国もありますけどね」 ――クロアチアのどういうところが気に入りました? 「まず人種差別されたことがない。あとは第二次世界大戦のときの関係もあって親日です。人が親切というところがありますね。天気も日本と一緒で四季があるところが気に入りました」 ――石井選手の知名度からすると、日本中が注目する試合を日本でやってみたくないですか? 「あんまりないですね。総合に関しては世界を視野に入れてやりたいですね。日本でやりたいのは、バラエティー番組に出演しながら、テレビのギャラをもらいたい(笑)」 ――石井選手はビッグマウスの印象もあって、世間に誤解されていると思います。本当の石井慧はどんな人物ですか? 「見ての通り、こんな感じですけど。ぼくは常に素でやっているんで、メディアは、それを面白おかしく書いたりするんですね。それはもうしょうがないし、若いうちにわかっていればね、逆にメディアを利用することができたんですけど、ぼくはそれができなかったんで。誤解されてもしょうがないかなと思いますね」 ――本当の石井慧はこういう人間だというのを正しく知って欲しい? 「それは人間ですから、誤解されてるのは正したいというのはありますけど、もうしょうがないと。それもあって、だから国を変えて、クロアチア国籍でチャンピオンになりたいんです。それがモチベーションです」 ――最後に、これまでの10年に点数をつけるなら? 「100点」 ――それはなぜでしょう? 「ぼくは常に全力なんです。自分に100点をつけられないのは、過去の自分に失礼じゃないかと思います。満足いかないことも、妥協してしまったことも、自分自身に負けたこともあります。自分が全力で挑んだ結果、そうなってしまったんだと。人生は一度きりなんで、常に満足して生きてますね。だから100点をつけます」 ――いまはいい状態であると? 「順風満帆です!」 ■プロフィール 1986年12月19日生まれ(32歳)、大阪府茨木市出身。2008年北京オリンピック柔道男子100キロ超級の金メダリスト。優勝後のインタビューで「オリンピックのプレッシャーなんて斉藤先生のプレッシャーに比べたら、屁の突っ張りにもなりません」と発言し、一躍時の人に。2009年12月31日に総合格闘家としてのデビュー戦を行い、吉田秀彦に判定負け。その後、元pride王者エメリヤーエンコ・ヒョードルやミルコ・クロコップら強豪選手との対戦も多く経験。世界中の格闘技団体にも積極的に上がり、2017年からは練習拠点をクロアチアに移す。現在7連勝中。交際中の柔術世界女王クリスティン・ミケルソンさんとは、8月からクロアチアで同居予定。 【この記. About press copyright contact us creators advertise developers terms privacy policy & safety how youtube works test new features press copyright contact us creators. See full list on news.yahoo.co.jp Jul 27, 2019 · 柔道界から事実上永久追放された石井だが、豪華な自宅や恋人の存在など、今の暮らしぶりも明らかになる。 北京五輪、当時21歳だった石井は、初めてのオリンピック出場にも関わらず圧倒的な強さで金メダルを獲得。 See full list on news.yahoo.co.jp See full list on news.yahoo.co.jp Aug 30, 2008 · 日本柔道を救った男~石井慧 金メダルへの執念~. ――日本ではほとんど知られていないポーランドの格闘技団体のkswにも出場しましたけど、すごいらしいですね? 「めちゃめちゃ盛り上がってます。昔のprideみたいなバブルです。(2017年5月に開催されたksw.39は)5万7000人も入りました。東京ドームが満杯みたいな感じです。じつは、ぼくは日本でのマーケットを意識していないというか、もう日本を捨ててるというか、別にいいやという感じなんです。それよりもkswに出ることによって、ヨーロッパのファンに知ってもらえるし、いま住んでいるクロアチアの人に見せられるところで戦うほうがいいかなと。あんまり気にしないですね、日本は」 ――「日本のマーケットは意識していない」と、その心境にいたった理由は? 「日本を捨ててはないですけど、やっぱり日本人ですから、気にしてたんですけど、そうすることによって、自分自身の素の部分を出せないのがあって。日本はいろいろ気にしないとダメなところがあるじゃないですか。自分が感じてることを言っちゃいけない国じゃないですか。だから、一回吹っ切れることによって、よくなって来ましたね」 ――6月6日に初参戦したアメリカの団体のpflではクロアチアの選手として出場して、クロアチアの国旗を持って入場しました。日本ではなく、クロアチアを選んだ理由は? 「いままで日本の熱心なファンに応援されることもなく、ずっとやってきたんで。それよりもぼくはクロアチアに住んで2年半ぐらいたつんですけど、すごいサポートもしてもらえて、みんなが応援してくれてます。だからクロアチア代表で戦って、日本人がヘビー級でチャンピオンになったぞと言わせないというか(笑)」 ――クロアチア国籍をとることも考えてます? 「あ。国籍とりましたよ」 ――本当にクロアチア人なんですね? 「はい。そうです。このあいだ、国籍とりましたよ。いまはクロアチア人です」 Jan 20, 2015 · 母校の国士舘大学柔道部監督として育てた石井慧選手は、08年の北京五輪で金メダルを獲得後、総合格闘技の世界で活躍しています。 ソウル五輪柔道男子95キロ超級決勝を戦う斉藤仁さん(左)=1988年10月1日 出典: 朝日新聞 See full list on news.yahoo.co.jp Apr 09, 2015 · 石井慧選手といえば、もともとは柔道の選手で、2008年の北京オリンピックの金メダリストという輝かしい成績を修めている方です。 しかし、オリンピック後の2008年10月に、突如格闘家へ転向。
Apr 09, 2015 · 石井慧選手といえば、もともとは柔道の選手で、2008年の北京オリンピックの金メダリストという輝かしい成績を修めている方です。 しかし、オリンピック後の2008年10月に、突如格闘家へ転向。 ――日本ではほとんど知られていないポーランドの格闘技団体のkswにも出場しましたけど、すごいらしいですね? 「めちゃめちゃ盛り上がってます。昔のprideみたいなバブルです。(2017年5月に開催されたksw.39は)5万7000人も入りました。東京ドームが満杯みたいな感じです。じつは、ぼくは日本でのマーケットを意識していないというか、もう日本を捨ててるというか、別にいいやという感じなんです。それよりもkswに出ることによって、ヨーロッパのファンに知ってもらえるし、いま住んでいるクロアチアの人に見せられるところで戦うほうがいいかなと。あんまり気にしないですね、日本は」 ――「日本のマーケットは意識していない」と、その心境にいたった理由は? 「日本を捨ててはないですけど、やっぱり日本人ですから、気にしてたんですけど、そうすることによって、自分自身の素の部分を出せないのがあって。日本はいろいろ気にしないとダメなところがあるじゃないですか。自分が感じてることを言っちゃいけない国じゃないですか。だから、一回吹っ切れることによって、よくなって来ましたね」 ――6月6日に初参戦したアメリカの団体のpflではクロアチアの選手として出場して、クロアチアの国旗を持って入場しました。日本ではなく、クロアチアを選んだ理由は? 「いままで日本の熱心なファンに応援されることもなく、ずっとやってきたんで。それよりもぼくはクロアチアに住んで2年半ぐらいたつんですけど、すごいサポートもしてもらえて、みんなが応援してくれてます。だからクロアチア代表で戦って、日本人がヘビー級でチャンピオンになったぞと言わせないというか(笑)」 ――クロアチア国籍をとることも考えてます? 「あ。国籍とりましたよ」 ――本当にクロアチア人なんですね? 「はい。そうです。このあいだ、国籍とりましたよ。いまはクロアチア人です」 ――10年目を迎えた総合格闘技人生の手応えは? 「『一芸十年』という言葉もあるように、何ごとも10年やって身についてくるのかなと身をもって感じてますね」 ――総合格闘家になる前に思い描いたことは実現できました? 「まったく違う方向に行ってますが、満足してます。いまのほうが面白いかなと」 ――最も成長した部分は? 「強い相手とたくさん戦って、いろんな経験を積めました。あとは海外での生活であったり、そういうのを含めて人間的に深みが出たかなと」 ――最近は海外での試合が多いですね。 「海外のほうが気楽ですよ。日本でやれば日本の選手が有利ですから。そこをあえてアウェーで戦うのは、本当の強さを追い求める意味では大切なのかなと。日本にいると、変な雑音が入ってきたりします。海外は日本ほどそういう雑音もないですし。海外のほうがぼくを評価してくれますし、合ってると思います」 See full list on news.yahoo.co.jp ――石井選手の知名度からすると、日本中が注目する試合を日本でやってみたくないですか? 「あんまりないですね。総合に関しては世界を視野に入れてやりたいですね。日本でやりたいのは、バラエティー番組に出演しながら、テレビのギャラをもらいたい(笑)」 ――石井選手はビッグマウスの印象もあって、世間に誤解されていると思います。本当の石井慧はどんな人物ですか? 「見ての通り、こんな感じですけど。ぼくは常に素でやっているんで、メディアは、それを面白おかしく書いたりするんですね。それはもうしょうがないし、若いうちにわかっていればね、逆にメディアを利用することができたんですけど、ぼくはそれができなかったんで。誤解されてもしょうがないかなと思いますね」 ――本当の石井慧はこういう人間だというのを正しく知って欲しい? 「それは人間ですから、誤解されてるのは正したいというのはありますけど、もうしょうがないと。それもあって、だから国を変えて、クロアチア国籍でチャンピオンになりたいんです。それがモチベーションです」 ――最後に、これまでの10年に点数をつけるなら? 「100点」 ――それはなぜでしょう? 「ぼくは常に全力なんです。自分に100点をつけられないのは、過去の自分に失礼じゃないかと思います。満足いかないことも、妥協してしまったことも、自分自身に負けたこともあります。自分が全力で挑んだ結果、そうなってしまったんだと。人生は一度きりなんで、常に満足して生きてますね。だから100点をつけます」 ――いまはいい状態であると? 「順風満帆です!」 ■プロフィール 1986年12月19日生まれ(32歳)、大阪府茨木市出身。2008年北京オリンピック柔道男子100キロ超級の金メダリスト。優勝後のインタビューで「オリンピックのプレッシャーなんて斉藤先生のプレッシャーに比べたら、屁の突っ張りにもなりません」と発言し、一躍時の人に。2009年12月31日に総合格闘家としてのデビュー戦を行い、吉田秀彦に判定負け。その後、元pride王者エメリヤーエンコ・ヒョードルやミルコ・クロコップら強豪選手との対戦も多く経験。世界中の格闘技団体にも積極的に上がり、2017年からは練習拠点をクロアチアに移す。現在7連勝中。交際中の柔術世界女王クリスティン・ミケルソンさんとは、8月からクロアチアで同居予定。 【この記.
Jul 27, 2019 · 柔道界から事実上永久追放された石井だが、豪華な自宅や恋人の存在など、今の暮らしぶりも明らかになる。 北京五輪、当時21歳だった石井は、初めてのオリンピック出場にも関わらず圧倒的な強さで金メダルを獲得。 See full list on news.yahoo.co.jp About press copyright contact us creators advertise developers terms privacy policy & safety how youtube works test new features press copyright contact us creators. ――2017年からはクロアチアにいるミルコのところに練習拠点を移しました。そのきっかけは? 「ミルコに2回負けてから再起ができないというか、すごく煮え切らない感じで、3連敗しました。そのときちょうど、ミルコがrizinグランプリ(2016年無差別級トーナメント)で優勝したんですよ。それで習いたいと連絡をしたら、いつでもいいよということで。そこからですね、行くようになったのは」 ――ミルコのところの環境は何が合いました? 「一番いいのはネガティブなことを言わない。みんなポジティブですよね。『おまえはダイヤモンドの原石だ。ここでしっかり磨けばまた輝くから』と毎日のように言われました。そうするとやっぱり、精神的にもよくなってきますよね」 ――石井選手は試合で戦って負けた相手のところに行って、教えてもらうことが何度かありますよね? 「自分よりも優れた技術がある人に教えてもらうのは、なにも恥ずかしいことというか、なにも意地を張るところでもないし、素直に受け入れて、足りないものを探していったら、それがミルコだったわけです」 ――日本人にとってクロアチアは、想像もつかない国だと思います。そういう環境の変化も気にならないですか? 「あんまり気にならなかったですね。クロアチア自体がいい国というか、すごく環境がよかったので、すぐ好きになりました。絶対に行きたくないと思う国もありますけどね」 ――クロアチアのどういうところが気に入りました? 「まず人種差別されたことがない。あとは第二次世界大戦のときの関係もあって親日です。人が親切というところがありますね。天気も日本と一緒で四季があるところが気に入りました」 ――10年目を迎えた総合格闘技人生の手応えは? 「『一芸十年』という言葉もあるように、何ごとも10年やって身についてくるのかなと身をもって感じてますね」 ――総合格闘家になる前に思い描いたことは実現できました? 「まったく違う方向に行ってますが、満足してます。いまのほうが面白いかなと」 ――最も成長した部分は? 「強い相手とたくさん戦って、いろんな経験を積めました。あとは海外での生活であったり、そういうのを含めて人間的に深みが出たかなと」 ――最近は海外での試合が多いですね。 「海外のほうが気楽ですよ。日本でやれば日本の選手が有利ですから。そこをあえてアウェーで戦うのは、本当の強さを追い求める意味では大切なのかなと。日本にいると、変な雑音が入ってきたりします。海外は日本ほどそういう雑音もないですし。海外のほうがぼくを評価してくれますし、合ってると思います」 See full list on news.yahoo.co.jp More images for オリンピック柔道 石井 » See full list on news.yahoo.co.jp
――日本ではほとんど知られていないポーランドの格闘技団体のkswにも出場しましたけど、すごいらしいですね? 「めちゃめちゃ盛り上がってます。昔のprideみたいなバブルです。(2017年5月に開催されたksw.39は)5万7000人も入りました。東京ドームが満杯みたいな感じです。じつは、ぼくは日本でのマーケットを意識していないというか、もう日本を捨ててるというか、別にいいやという感じなんです。それよりもkswに出ることによって、ヨーロッパのファンに知ってもらえるし、いま住んでいるクロアチアの人に見せられるところで戦うほうがいいかなと。あんまり気にしないですね、日本は」 ――「日本のマーケットは意識していない」と、その心境にいたった理由は? 「日本を捨ててはないですけど、やっぱり日本人ですから、気にしてたんですけど、そうすることによって、自分自身の素の部分を出せないのがあって。日本はいろいろ気にしないとダメなところがあるじゃないですか。自分が感じてることを言っちゃいけない国じゃないですか。だから、一回吹っ切れることによって、よくなって来ましたね」 ――6月6日に初参戦したアメリカの団体のpflではクロアチアの選手として出場して、クロアチアの国旗を持って入場しました。日本ではなく、クロアチアを選んだ理由は? 「いままで日本の熱心なファンに応援されることもなく、ずっとやってきたんで。それよりもぼくはクロアチアに住んで2年半ぐらいたつんですけど、すごいサポートもしてもらえて、みんなが応援してくれてます。だからクロアチア代表で戦って、日本人がヘビー級でチャンピオンになったぞと言わせないというか(笑)」 ――クロアチア国籍をとることも考えてます? 「あ。国籍とりましたよ」 ――本当にクロアチア人なんですね? 「はい。そうです。このあいだ、国籍とりましたよ。いまはクロアチア人です」
――日本ではほとんど知られていないポーランドの格闘技団体のkswにも出場しましたけど、すごいらしいですね? 「めちゃめちゃ盛り上がってます。昔のprideみたいなバブルです。(2017年5月に開催されたksw.39は)5万7000人も入りました。東京ドームが満杯みたいな感じです。じつは、ぼくは日本でのマーケットを意識していないというか、もう日本を捨ててるというか、別にいいやという感じなんです。それよりもkswに出ることによって、ヨーロッパのファンに知ってもらえるし、いま住んでいるクロアチアの人に見せられるところで戦うほうがいいかなと。あんまり気にしないですね、日本は」 ――「日本のマーケットは意識していない」と、その心境にいたった理由は? 「日本を捨ててはないですけど、やっぱり日本人ですから、気にしてたんですけど、そうすることによって、自分自身の素の部分を出せないのがあって。日本はいろいろ気にしないとダメなところがあるじゃないですか。自分が感じてることを言っちゃいけない国じゃないですか。だから、一回吹っ切れることによって、よくなって来ましたね」 ――6月6日に初参戦したアメリカの団体のpflではクロアチアの選手として出場して、クロアチアの国旗を持って入場しました。日本ではなく、クロアチアを選んだ理由は? 「いままで日本の熱心なファンに応援されることもなく、ずっとやってきたんで。それよりもぼくはクロアチアに住んで2年半ぐらいたつんですけど、すごいサポートもしてもらえて、みんなが応援してくれてます。だからクロアチア代表で戦って、日本人がヘビー級でチャンピオンになったぞと言わせないというか(笑)」 ――クロアチア国籍をとることも考えてます? 「あ。国籍とりましたよ」 ――本当にクロアチア人なんですね? 「はい。そうです。このあいだ、国籍とりましたよ。いまはクロアチア人です」 ――2017年からはクロアチアにいるミルコのところに練習拠点を移しました。そのきっかけは? 「ミルコに2回負けてから再起ができないというか、すごく煮え切らない感じで、3連敗しました。そのときちょうど、ミルコがrizinグランプリ(2016年無差別級トーナメント)で優勝したんですよ。それで習いたいと連絡をしたら、いつでもいいよということで。そこからですね、行くようになったのは」 ――ミルコのところの環境は何が合いました? 「一番いいのはネガティブなことを言わない。みんなポジティブですよね。『おまえはダイヤモンドの原石だ。ここでしっかり磨けばまた輝くから』と毎日のように言われました。そうするとやっぱり、精神的にもよくなってきますよね」 ――石井選手は試合で戦って負けた相手のところに行って、教えてもらうことが何度かありますよね? 「自分よりも優れた技術がある人に教えてもらうのは、なにも恥ずかしいことというか、なにも意地を張るところでもないし、素直に受け入れて、足りないものを探していったら、それがミルコだったわけです」 ――日本人にとってクロアチアは、想像もつかない国だと思います。そういう環境の変化も気にならないですか? 「あんまり気にならなかったですね。クロアチア自体がいい国というか、すごく環境がよかったので、すぐ好きになりました。絶対に行きたくないと思う国もありますけどね」 ――クロアチアのどういうところが気に入りました? 「まず人種差別されたことがない。あとは第二次世界大戦のときの関係もあって親日です。人が親切というところがありますね。天気も日本と一緒で四季があるところが気に入りました」 Jul 27, 2019 · 柔道界から事実上永久追放された石井だが、豪華な自宅や恋人の存在など、今の暮らしぶりも明らかになる。 北京五輪、当時21歳だった石井は、初めてのオリンピック出場にも関わらず圧倒的な強さで金メダルを獲得。 See full list on news.yahoo.co.jp Jan 20, 2015 · 母校の国士舘大学柔道部監督として育てた石井慧選手は、08年の北京五輪で金メダルを獲得後、総合格闘技の世界で活躍しています。 ソウル五輪柔道男子95キロ超級決勝を戦う斉藤仁さん(左)=1988年10月1日 出典: 朝日新聞 See full list on news.yahoo.co.jp ――石井選手の知名度からすると、日本中が注目する試合を日本でやってみたくないですか? 「あんまりないですね。総合に関しては世界を視野に入れてやりたいですね。日本でやりたいのは、バラエティー番組に出演しながら、テレビのギャラをもらいたい(笑)」 ――石井選手はビッグマウスの印象もあって、世間に誤解されていると思います。本当の石井慧はどんな人物ですか? 「見ての通り、こんな感じですけど。ぼくは常に素でやっているんで、メディアは、それを面白おかしく書いたりするんですね。それはもうしょうがないし、若いうちにわかっていればね、逆にメディアを利用することができたんですけど、ぼくはそれができなかったんで。誤解されてもしょうがないかなと思いますね」 ――本当の石井慧はこういう人間だというのを正しく知って欲しい? 「それは人間ですから、誤解されてるのは正したいというのはありますけど、もうしょうがないと。それもあって、だから国を変えて、クロアチア国籍でチャンピオンになりたいんです。それがモチベーションです」 ――最後に、これまでの10年に点数をつけるなら? 「100点」 ――それはなぜでしょう? 「ぼくは常に全力なんです。自分に100点をつけられないのは、過去の自分に失礼じゃないかと思います。満足いかないことも、妥協してしまったことも、自分自身に負けたこともあります。自分が全力で挑んだ結果、そうなってしまったんだと。人生は一度きりなんで、常に満足して生きてますね。だから100点をつけます」 ――いまはいい状態であると? 「順風満帆です!」 ■プロフィール 1986年12月19日生まれ(32歳)、大阪府茨木市出身。2008年北京オリンピック柔道男子100キロ超級の金メダリスト。優勝後のインタビューで「オリンピックのプレッシャーなんて斉藤先生のプレッシャーに比べたら、屁の突っ張りにもなりません」と発言し、一躍時の人に。2009年12月31日に総合格闘家としてのデビュー戦を行い、吉田秀彦に判定負け。その後、元pride王者エメリヤーエンコ・ヒョードルやミルコ・クロコップら強豪選手との対戦も多く経験。世界中の格闘技団体にも積極的に上がり、2017年からは練習拠点をクロアチアに移す。現在7連勝中。交際中の柔術世界女王クリスティン・ミケルソンさんとは、8月からクロアチアで同居予定。 【この記. ――10年目を迎えた総合格闘技人生の手応えは? 「『一芸十年』という言葉もあるように、何ごとも10年やって身についてくるのかなと身をもって感じてますね」 ――総合格闘家になる前に思い描いたことは実現できました? 「まったく違う方向に行ってますが、満足してます。いまのほうが面白いかなと」 ――最も成長した部分は? 「強い相手とたくさん戦って、いろんな経験を積めました。あとは海外での生活であったり、そういうのを含めて人間的に深みが出たかなと」 ――最近は海外での試合が多いですね。 「海外のほうが気楽ですよ。日本でやれば日本の選手が有利ですから。そこをあえてアウェーで戦うのは、本当の強さを追い求める意味では大切なのかなと。日本にいると、変な雑音が入ってきたりします。海外は日本ほどそういう雑音もないですし。海外のほうがぼくを評価してくれますし、合ってると思います」 About press copyright contact us creators advertise developers terms privacy policy & safety how youtube works test new features press copyright contact us creators. See full list on news.yahoo.co.jp Aug 30, 2008 · 日本柔道を救った男~石井慧 金メダルへの執念~. More images for オリンピック柔道 石井 » See full list on news.yahoo.co.jp
――2017年からはクロアチアにいるミルコのところに練習拠点を移しました。そのきっかけは? 「ミルコに2回負けてから再起ができないというか、すごく煮え切らない感じで、3連敗しました。そのときちょうど、ミルコがrizinグランプリ(2016年無差別級トーナメント)で優勝したんですよ。それで習いたいと連絡をしたら、いつでもいいよということで。そこからですね、行くようになったのは」 ――ミルコのところの環境は何が合いました? 「一番いいのはネガティブなことを言わない。みんなポジティブですよね。『おまえはダイヤモンドの原石だ。ここでしっかり磨けばまた輝くから』と毎日のように言われました。そうするとやっぱり、精神的にもよくなってきますよね」 ――石井選手は試合で戦って負けた相手のところに行って、教えてもらうことが何度かありますよね? 「自分よりも優れた技術がある人に教えてもらうのは、なにも恥ずかしいことというか、なにも意地を張るところでもないし、素直に受け入れて、足りないものを探していったら、それがミルコだったわけです」 ――日本人にとってクロアチアは、想像もつかない国だと思います。そういう環境の変化も気にならないですか? 「あんまり気にならなかったですね。クロアチア自体がいい国というか、すごく環境がよかったので、すぐ好きになりました。絶対に行きたくないと思う国もありますけどね」 ――クロアチアのどういうところが気に入りました? 「まず人種差別されたことがない。あとは第二次世界大戦のときの関係もあって親日です。人が親切というところがありますね。天気も日本と一緒で四季があるところが気に入りました」 Aug 30, 2008 · 日本柔道を救った男~石井慧 金メダルへの執念~. ――石井選手の知名度からすると、日本中が注目する試合を日本でやってみたくないですか? 「あんまりないですね。総合に関しては世界を視野に入れてやりたいですね。日本でやりたいのは、バラエティー番組に出演しながら、テレビのギャラをもらいたい(笑)」 ――石井選手はビッグマウスの印象もあって、世間に誤解されていると思います。本当の石井慧はどんな人物ですか? 「見ての通り、こんな感じですけど。ぼくは常に素でやっているんで、メディアは、それを面白おかしく書いたりするんですね。それはもうしょうがないし、若いうちにわかっていればね、逆にメディアを利用することができたんですけど、ぼくはそれができなかったんで。誤解されてもしょうがないかなと思いますね」 ――本当の石井慧はこういう人間だというのを正しく知って欲しい? 「それは人間ですから、誤解されてるのは正したいというのはありますけど、もうしょうがないと。それもあって、だから国を変えて、クロアチア国籍でチャンピオンになりたいんです。それがモチベーションです」 ――最後に、これまでの10年に点数をつけるなら? 「100点」 ――それはなぜでしょう? 「ぼくは常に全力なんです。自分に100点をつけられないのは、過去の自分に失礼じゃないかと思います。満足いかないことも、妥協してしまったことも、自分自身に負けたこともあります。自分が全力で挑んだ結果、そうなってしまったんだと。人生は一度きりなんで、常に満足して生きてますね。だから100点をつけます」 ――いまはいい状態であると? 「順風満帆です!」 ■プロフィール 1986年12月19日生まれ(32歳)、大阪府茨木市出身。2008年北京オリンピック柔道男子100キロ超級の金メダリスト。優勝後のインタビューで「オリンピックのプレッシャーなんて斉藤先生のプレッシャーに比べたら、屁の突っ張りにもなりません」と発言し、一躍時の人に。2009年12月31日に総合格闘家としてのデビュー戦を行い、吉田秀彦に判定負け。その後、元pride王者エメリヤーエンコ・ヒョードルやミルコ・クロコップら強豪選手との対戦も多く経験。世界中の格闘技団体にも積極的に上がり、2017年からは練習拠点をクロアチアに移す。現在7連勝中。交際中の柔術世界女王クリスティン・ミケルソンさんとは、8月からクロアチアで同居予定。 【この記. ――10年目を迎えた総合格闘技人生の手応えは? 「『一芸十年』という言葉もあるように、何ごとも10年やって身についてくるのかなと身をもって感じてますね」 ――総合格闘家になる前に思い描いたことは実現できました? 「まったく違う方向に行ってますが、満足してます。いまのほうが面白いかなと」 ――最も成長した部分は? 「強い相手とたくさん戦って、いろんな経験を積めました。あとは海外での生活であったり、そういうのを含めて人間的に深みが出たかなと」 ――最近は海外での試合が多いですね。 「海外のほうが気楽ですよ。日本でやれば日本の選手が有利ですから。そこをあえてアウェーで戦うのは、本当の強さを追い求める意味では大切なのかなと。日本にいると、変な雑音が入ってきたりします。海外は日本ほどそういう雑音もないですし。海外のほうがぼくを評価してくれますし、合ってると思います」 Apr 09, 2015 · 石井慧選手といえば、もともとは柔道の選手で、2008年の北京オリンピックの金メダリストという輝かしい成績を修めている方です。 しかし、オリンピック後の2008年10月に、突如格闘家へ転向。
Jul 27, 2019 · 柔道界から事実上永久追放された石井だが、豪華な自宅や恋人の存在など、今の暮らしぶりも明らかになる。 北京五輪、当時21歳だった石井は、初めてのオリンピック出場にも関わらず圧倒的な強さで金メダルを獲得。 ――石井選手の知名度からすると、日本中が注目する試合を日本でやってみたくないですか? 「あんまりないですね。総合に関しては世界を視野に入れてやりたいですね。日本でやりたいのは、バラエティー番組に出演しながら、テレビのギャラをもらいたい(笑)」 ――石井選手はビッグマウスの印象もあって、世間に誤解されていると思います。本当の石井慧はどんな人物ですか? 「見ての通り、こんな感じですけど。ぼくは常に素でやっているんで、メディアは、それを面白おかしく書いたりするんですね。それはもうしょうがないし、若いうちにわかっていればね、逆にメディアを利用することができたんですけど、ぼくはそれができなかったんで。誤解されてもしょうがないかなと思いますね」 ――本当の石井慧はこういう人間だというのを正しく知って欲しい? 「それは人間ですから、誤解されてるのは正したいというのはありますけど、もうしょうがないと。それもあって、だから国を変えて、クロアチア国籍でチャンピオンになりたいんです。それがモチベーションです」 ――最後に、これまでの10年に点数をつけるなら? 「100点」 ――それはなぜでしょう? 「ぼくは常に全力なんです。自分に100点をつけられないのは、過去の自分に失礼じゃないかと思います。満足いかないことも、妥協してしまったことも、自分自身に負けたこともあります。自分が全力で挑んだ結果、そうなってしまったんだと。人生は一度きりなんで、常に満足して生きてますね。だから100点をつけます」 ――いまはいい状態であると? 「順風満帆です!」 ■プロフィール 1986年12月19日生まれ(32歳)、大阪府茨木市出身。2008年北京オリンピック柔道男子100キロ超級の金メダリスト。優勝後のインタビューで「オリンピックのプレッシャーなんて斉藤先生のプレッシャーに比べたら、屁の突っ張りにもなりません」と発言し、一躍時の人に。2009年12月31日に総合格闘家としてのデビュー戦を行い、吉田秀彦に判定負け。その後、元pride王者エメリヤーエンコ・ヒョードルやミルコ・クロコップら強豪選手との対戦も多く経験。世界中の格闘技団体にも積極的に上がり、2017年からは練習拠点をクロアチアに移す。現在7連勝中。交際中の柔術世界女王クリスティン・ミケルソンさんとは、8月からクロアチアで同居予定。 【この記. About press copyright contact us creators advertise developers terms privacy policy & safety how youtube works test new features press copyright contact us creators. See full list on news.yahoo.co.jp ――2017年からはクロアチアにいるミルコのところに練習拠点を移しました。そのきっかけは? 「ミルコに2回負けてから再起ができないというか、すごく煮え切らない感じで、3連敗しました。そのときちょうど、ミルコがrizinグランプリ(2016年無差別級トーナメント)で優勝したんですよ。それで習いたいと連絡をしたら、いつでもいいよということで。そこからですね、行くようになったのは」 ――ミルコのところの環境は何が合いました? 「一番いいのはネガティブなことを言わない。みんなポジティブですよね。『おまえはダイヤモンドの原石だ。ここでしっかり磨けばまた輝くから』と毎日のように言われました。そうするとやっぱり、精神的にもよくなってきますよね」 ――石井選手は試合で戦って負けた相手のところに行って、教えてもらうことが何度かありますよね? 「自分よりも優れた技術がある人に教えてもらうのは、なにも恥ずかしいことというか、なにも意地を張るところでもないし、素直に受け入れて、足りないものを探していったら、それがミルコだったわけです」 ――日本人にとってクロアチアは、想像もつかない国だと思います。そういう環境の変化も気にならないですか? 「あんまり気にならなかったですね。クロアチア自体がいい国というか、すごく環境がよかったので、すぐ好きになりました。絶対に行きたくないと思う国もありますけどね」 ――クロアチアのどういうところが気に入りました? 「まず人種差別されたことがない。あとは第二次世界大戦のときの関係もあって親日です。人が親切というところがありますね。天気も日本と一緒で四季があるところが気に入りました」 ――10年目を迎えた総合格闘技人生の手応えは? 「『一芸十年』という言葉もあるように、何ごとも10年やって身についてくるのかなと身をもって感じてますね」 ――総合格闘家になる前に思い描いたことは実現できました? 「まったく違う方向に行ってますが、満足してます。いまのほうが面白いかなと」 ――最も成長した部分は? 「強い相手とたくさん戦って、いろんな経験を積めました。あとは海外での生活であったり、そういうのを含めて人間的に深みが出たかなと」 ――最近は海外での試合が多いですね。 「海外のほうが気楽ですよ。日本でやれば日本の選手が有利ですから。そこをあえてアウェーで戦うのは、本当の強さを追い求める意味では大切なのかなと。日本にいると、変な雑音が入ってきたりします。海外は日本ほどそういう雑音もないですし。海外のほうがぼくを評価してくれますし、合ってると思います」 More images for オリンピック柔道 石井 » Apr 09, 2015 · 石井慧選手といえば、もともとは柔道の選手で、2008年の北京オリンピックの金メダリストという輝かしい成績を修めている方です。 しかし、オリンピック後の2008年10月に、突如格闘家へ転向。
Jan 20, 2015 · 母校の国士舘大学柔道部監督として育てた石井慧選手は、08年の北京五輪で金メダルを獲得後、総合格闘技の世界で活躍しています。 ソウル五輪柔道男子95キロ超級決勝を戦う斉藤仁さん(左)=1988年10月1日 出典: 朝日新聞
About press copyright contact us creators advertise developers terms privacy policy & safety how youtube works test new features press copyright contact us creators. See full list on news.yahoo.co.jp Apr 09, 2015 · 石井慧選手といえば、もともとは柔道の選手で、2008年の北京オリンピックの金メダリストという輝かしい成績を修めている方です。 しかし、オリンピック後の2008年10月に、突如格闘家へ転向。 Aug 30, 2008 · 日本柔道を救った男~石井慧 金メダルへの執念~. ――石井選手の知名度からすると、日本中が注目する試合を日本でやってみたくないですか? 「あんまりないですね。総合に関しては世界を視野に入れてやりたいですね。日本でやりたいのは、バラエティー番組に出演しながら、テレビのギャラをもらいたい(笑)」 ――石井選手はビッグマウスの印象もあって、世間に誤解されていると思います。本当の石井慧はどんな人物ですか? 「見ての通り、こんな感じですけど。ぼくは常に素でやっているんで、メディアは、それを面白おかしく書いたりするんですね。それはもうしょうがないし、若いうちにわかっていればね、逆にメディアを利用することができたんですけど、ぼくはそれができなかったんで。誤解されてもしょうがないかなと思いますね」 ――本当の石井慧はこういう人間だというのを正しく知って欲しい? 「それは人間ですから、誤解されてるのは正したいというのはありますけど、もうしょうがないと。それもあって、だから国を変えて、クロアチア国籍でチャンピオンになりたいんです。それがモチベーションです」 ――最後に、これまでの10年に点数をつけるなら? 「100点」 ――それはなぜでしょう? 「ぼくは常に全力なんです。自分に100点をつけられないのは、過去の自分に失礼じゃないかと思います。満足いかないことも、妥協してしまったことも、自分自身に負けたこともあります。自分が全力で挑んだ結果、そうなってしまったんだと。人生は一度きりなんで、常に満足して生きてますね。だから100点をつけます」 ――いまはいい状態であると? 「順風満帆です!」 ■プロフィール 1986年12月19日生まれ(32歳)、大阪府茨木市出身。2008年北京オリンピック柔道男子100キロ超級の金メダリスト。優勝後のインタビューで「オリンピックのプレッシャーなんて斉藤先生のプレッシャーに比べたら、屁の突っ張りにもなりません」と発言し、一躍時の人に。2009年12月31日に総合格闘家としてのデビュー戦を行い、吉田秀彦に判定負け。その後、元pride王者エメリヤーエンコ・ヒョードルやミルコ・クロコップら強豪選手との対戦も多く経験。世界中の格闘技団体にも積極的に上がり、2017年からは練習拠点をクロアチアに移す。現在7連勝中。交際中の柔術世界女王クリスティン・ミケルソンさんとは、8月からクロアチアで同居予定。 【この記. See full list on news.yahoo.co.jp More images for オリンピック柔道 石井 » ――10年目を迎えた総合格闘技人生の手応えは? 「『一芸十年』という言葉もあるように、何ごとも10年やって身についてくるのかなと身をもって感じてますね」 ――総合格闘家になる前に思い描いたことは実現できました? 「まったく違う方向に行ってますが、満足してます。いまのほうが面白いかなと」 ――最も成長した部分は? 「強い相手とたくさん戦って、いろんな経験を積めました。あとは海外での生活であったり、そういうのを含めて人間的に深みが出たかなと」 ――最近は海外での試合が多いですね。 「海外のほうが気楽ですよ。日本でやれば日本の選手が有利ですから。そこをあえてアウェーで戦うのは、本当の強さを追い求める意味では大切なのかなと。日本にいると、変な雑音が入ってきたりします。海外は日本ほどそういう雑音もないですし。海外のほうがぼくを評価してくれますし、合ってると思います」 See full list on news.yahoo.co.jp See full list on news.yahoo.co.jp See full list on news.yahoo.co.jp Jan 20, 2015 · 母校の国士舘大学柔道部監督として育てた石井慧選手は、08年の北京五輪で金メダルを獲得後、総合格闘技の世界で活躍しています。 ソウル五輪柔道男子95キロ超級決勝を戦う斉藤仁さん(左)=1988年10月1日 出典: 朝日新聞 Jul 27, 2019 · 柔道界から事実上永久追放された石井だが、豪華な自宅や恋人の存在など、今の暮らしぶりも明らかになる。 北京五輪、当時21歳だった石井は、初めてのオリンピック出場にも関わらず圧倒的な強さで金メダルを獲得。
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